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管理人プロフィール

サイト管理人のBJと申します。当サイトを見つけてくださり、どうもありがとうございます!

 

私は、物心ついた時から車・バイクが大好きでした。「三つ子の魂百まで」とはよく言ったもので、大人になった今でも情熱は変わっていません。もはや「アイデンティティ」の一部と言ってもいいですね・笑。

 

私が無類の車・バイク好きなのは、父と祖父の影響です。彼らがどれくらい車やバイク好きだったかというと・・・

 

<父>

1)乗り継いだ車とバイクは数知れず(本人も覚えていない。合わせて30台くらい?)。

2)事故に遭って◯にかけたこと数回。若い頃、軽自動車(確かダイハツのフェロー)を運転中に対向車と正面衝突。流石にこの時は「もう終わりだ」と思ったらしい(ボンネットの左前から「斜めに刺さるように」衝突したので命は助かった)。バイクの転倒や事故入院の経験も豊富w

3)車いじりもそれなりに好きで(ドレスアップではなく機能アップ)、タコメーターがない車に乗っていた時は外付けタコメーターをせっせと取り付けていた。ついでにアマチュア無線のリグとアンテナ一式も搭載するというこだわりっぷりw

 

<祖父>

1)新車が出ると、市内で文字通りの「一番乗り」になるためディーラーへ直行し契約(マツダのファミリアを買った時の話)。本当は1番ではなかったけど、営業さんは「市内で初めての車ですよ」と言って鍵を渡したらしいw

2)運転不適の状態(どんな状態だったかはご想像にお任せしますw)でバイク(確か富士重工のラビットだったはず)に乗り、派手に転倒して大けが。もちろん、その程度でバイクを降りることはしなかった。ちなみに、そこをたまたま通りかかったお巡りさんには「気をつけてお帰りくださいね〜」とだけ言われて終わり(今とは比べ物にならないほど大らかだった昭和中期の出来事です)。

 

そんな彼らの血を受け継いでいるBJはと言いますと・・・

 

<BJの車・バイクにまつわるエピソード>

1)幼少期より、おもちゃは車にまつわるものが多かった。F1大好きの父と一緒に中継を見ており、それにインスパイアされて分度器と鉛筆でタコメーターを紙の上で見事に再現。マーカーで色を塗ってメーターらしく仕上げ、ハサミで切り抜き、自転車のハンドル部分にセロテープで貼り付けてテンションmax。ちなみに、その時の自転車は姉からのお下がりで「赤白フレームにピンクのタイヤ」だったw

2)母親が日常の足として乗っていたのが、スズキ・アルトの初期型(SS30V)。真っ赤なボディに2サイクルエンジン独特の排気音。そして混合ガソリンがもたらす白煙と匂い。幼いながらも全神経を集中して車の息吹(?)を感じていたのだった。

3)その後、ホンダ・アクティに車が変わったのだが、メーターパネル内の警告灯やアナログメーターの動きに興味津々。父親に「ねぇ、このランプの意味はな〜に?」「ねぇ、このメーターの名前はな〜に?」と尋ねまくる(この時に、エンジンの温度を表すメーターは「温度計」ではなく「水温計」と呼ぶことを教わった)。車のステッカーに書かれている「5-Speed」「DOHC」「無鉛ガソリンを使用してください」(全部「昭和のかほり」がするw)などの意味も、飽く無き探究心で徹底追求。

4)学齢期はミニ四駆・プラモデル・タミヤの工作基本セットを買い漁り、机や枕元に並べてニヤニヤしながら過ごすことが多かった。アニメ「新世紀GPXサイバーフォーミュラ」はどストライクの内容で、小銭を握りしめておもちゃ屋さんへ行き、新しいモデル(といってもチョロQ w)が発売される度に買い増した。

5)家族ぐるみで付き合いのあった車屋さん宅にちょいちょいお邪魔し、使い古しのオークション情報誌を貰ったり(当時はまだインターネットがなかった)、なぜか置いてあったスロットマシンで遊んだりして(パチプロにはならなかったw)幸せな子供時代を過ごす。まるでモーターのように滑らかに回るV8エンジン搭載のベンツに乗せてもらった時のことは、今でも忘れられない。激レアなホンダ・N360のAT仕様車に出会ったのも、この車屋さんに遊びに行った時。

6)親が中古車を買う時には、行きつけの車屋さんと一緒にオークション会場(USS)まで行き、中古車購入時の見極めポイントを教わる。自分が買うわけでもないのにテンションmaxで品定めw

7)16歳になるとすぐに原付免許を取得。その後まもなく自動二輪免許も取得。バイク通学OKの学校に通っていたので、愛車であるホンダ・ベンリィを駆り、毎日バイクに乗る生活が始まる。時間があるときは当てもなく近所を走り回り、山道も攻めた(そして下り坂で転倒し、ステップやライトステーを思いっきり曲げたw)。登校中に左折巻き込み事故に遭ったこともあるが、幸いにして大きなケガは一度もせず今日に至る。

8)17歳の頃、ガソリンスタンドでアルバイトを始める。まだ車の免許は持っていなかったものの、面倒見のいい先輩たちに囲まれ、スピーディーな洗車・オイル交換・タイヤ交換、効果的な接客方法を叩き込まれる。

9)18歳になるとすぐに普通車免許を取得(同じ年に大型自動二輪免許も取ったため、同じ教習所に合計3回通ったw)。初心者運転期間中である最初の一年で、車体左=>車体右=>車体後ろと順番に傷を付けることで車両感覚を十分に養う。

10)初めて買った愛車はホンダ・ストリート(HH3)。10年落ち・車検切れだったものを13万円くらいで購入。もちろんオークション会場へ車屋さんと一緒に行き、今回もテンションmax。車検を通し直し、あちこち手を入れ、ホイールも変えて(ホイールは学校の先生が「付くなら持って行け」と言ってくれ、ピッタリだったのでもらったw)マイカーライフを満喫。余談だが、HH3はオーバーヒートの持病があり、2回ほど水温計が振り切れそうになったことがある。シリンダーヘッドを車屋さんに増し締めしてもらったり、応急処置用に2リットルのペットボトルを常備したりしていたのは懐かしい思い出。

11)20代は人生で最も走った時期。最高記録は1ヶ月で4,500km走ったこと。2011年に発生した東日本大震災の救援ボランティアに参加するため、1ヶ月だけだったが宮城県へ引っ越したときだった。この時の愛車(もはや相棒と言っていい)は、スズキ・ラパンSS(TA-HE21S)。ミッションは4ATではなく、もちろん5MT。バイクはというと、ヤマハ・DT125R(3FW)やスズキ・アドレス110(BD-CF11A)やスズキ・グース250(NJ46A)というマイナーなモデルを好んで乗っていた(人と同じ穴は掘らない主義w)。

12)結婚して家族が増えた30代。バイクはおとなしくホンダ・スーパーカブ(AA01)になった。しかし、50ccだと30キロ制限や二段階右折が鬱陶しかったため、これまた行きつけの車屋さんにお願いして75ccのボアアップキットを組み、原付2種登録。無事に黄色ナンバーを取得し走り回った。引越しや転職が重なって相棒だったラパンSSを手放さざるを得なくなり、車に乗れない辛い時期もあった。幸い、程度の良い中古車として5MTの初期型スズキ・スイフト(ZC31)を手に入れることができ、楽しいカーライフへカムバックできた。

 

他にも書き出したらキリがないのでこれくらいにしておきますが、やっぱり自分は根っからの車・バイク好きなんだと改めて気付かされましたw

 

<尊敬する人>

本田宗一郎さん(本田技研工業創業者・天才技術者)

藤澤武夫さん(宗一郎さんの名参謀・カリスマ経営者)

鈴木修さん(初代アルトでスズキを立て直した敏腕社長)

 

<好きな言葉>

ミッション(正確にはマニュアルトランスミッション)

クラッチ

タコメーター

ブースト

軽さは正義

 

<欲しい車ベスト3>

スズキ・スイフトスポーツ 6MT

スズキ・ジムニーシエラ 5MT

ホンダ・CIVIC TypeR 6MT

 

<欲しいバイクベスト3>

MOTO GUZZI V7 Special

SUZUKI SV650

YAMAHA R1-Z

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